子供の日:インクルーシブ教育が偏見無き社会を作る〜陶芸家 工藤和彦さんの話 no.142

昔、ユニバーサルデザインをテーマにした番組の取材で、旭川在住の陶芸家 工藤和彦(くどう かずひこ)さんの工房に伺った時、

工藤和彦さんのHP

とても興味深い話を伺いました。

工藤和彦さんの作品

工藤さんの3人のお子さんは、その当時小学生で、1・2年生、3・4年生、5・6年生の2学年で一クラスを作る複合学級。一クラスが3〜4人という小さな旭川郊外にある分校に通っていました。

そこに、ある年、重度の障害がある男の子(たぶん3年生位)が転校してきたというのです。

その男の子は、当初は養護学校に通っていたところ、両親が普通学校で学ばせたいと強く希望し、あちこちの学校にかけあった結果、その学校に来ることになったそうです。

それを聞いた工藤さんは、子供達に言ったそうです。

「おい、お前達はめちゃくちゃラッキーだよ!障害がある同級生がもてるなんて、

お父さんはうらやましい!」

 

工藤さんは、今や東京、京都を初め日本全国、海外からも展示会を依頼される人気の陶芸家ですが、

実は、その陶芸家としての出発点に福祉事業所における作陶指導があり、作陶のかたわら、

今もアール・ブリュット(※)の発掘・普及活動も手がけていらっしゃいます。

そんな背景があっての先ほどの言葉なのですが、それを聞いて子供達は、

何がそんなにラッキーなの?と、たずねました。

すると、工藤さんは、

人というものは、様々な可能性を持っている。

障害の有無は人としての優劣に全く関係はなく、むしろ、人生は、

自分という素材をいかに生かすか…にかかっている。

自分達は今のところ、身体になんらかの障害がある状態を体験することはできない、

しかし、その子がその可能性を見せてくれる

その可能性を、同級生として一緒に作っていけるかもしれない。

それがうらやましい!

と、話したそうです。

そう聞かされた子供達は、がぜんその子に興味津々!積極的にその子に話しかけ、その子ができないことに協力し(大人が教えなくても、子供同士で教え合った)、温厚なその子に兄弟げんかの愚痴を聞いて貰ったりなどして過ごしました。

家に帰ってきた子供達が、今日、○○君と、こんなことしたあんなことした…と、楽しそうに話してくれたそうです。

* * * * * * * *

こんな風に育った子供達に、障害に対する偏見や差別心は生まれません。

生まれようもありません。

もし、先生方や親御さん達の姿勢が、

「障害がある子は可哀想だから、なにかしてあげなさい」だったり、

障害がある子を過剰にかばい、ふれあう機会を無くしたりすればまた、結果は違うものになるでしょう。

先だって、国会議員となったれいわ新選組の舩後さんも、国会でインクルーシブ教育の必要性を訴えていらっしゃいます。

舩後さんが訴えているのは、障害がある子側の権利のみならず、

障害がない子達の「知る権利」も含めてであると思います。

それには、周囲の大人達の姿勢が問われます。

大人達の意識いかんによって、未来のために与えられる情報が変わって来ます。

 

すべては教育に還るーーー

 

日本は長い間、子供を含め障害がある人を、一般社会から離れた場所で匿う(かくまう)政策をとってきました。

それは、障害がある人や子供側だけではなく、私達側もその機会が失われてきたのです。

子供達が子供時代にそうしたフラットな感覚を身につけることができたら、大人になってから、どれだけ質の高いバリアフリーで、ユニバーサルデザインな包容力ある、偏見少なき社会を作ってくれるかしれません。

大人達こそ問われている。

子供の日にちなんで、インクルーシブ教育について書かせて頂きました。

2020.5.5

※アール・ブリュット/フランス語で“生(き)の芸術”という意味の芸術の一ジャンル。専門の美術教育を受けたことが無いながらも、生まれながらに描いたり、形作ったりするなど本能に基づいて為される芸術表現をさす)

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子供の日:インクルーシブ教育が偏見無き社会を作る〜陶芸家 工藤和彦さんの話 no.142” に対して3件のコメントがあります。

  1. 手塚玄 より:

    山田さん、素敵な話をありがとうございます。工藤さんは、私もよく知っています。彼がアール・ブリュットの活動を北海道で始めた頃、私のとこに通っている何人かの作品を取り投げていただき、その後もお付き合いさせてもらっています。この話、彼は私たちのような事業者には、言うことでもないと思ったからか、聞いたことありませんでした。山田さんだから、聞けたのかなと思います。だから前回の「私なんかが、、、」に繋がるのですが、「山田さんだから」この話は語らねばです。私たちにとっても心強い後押しになります。
    余談ですが、今北海道では、アール・ブリュットが、“障害者アート”と語られることが多く、アートと福祉は全く関係なく、全く違う範疇の事柄を表す言葉なのにも関わらず何故か繋げて語ることが多くなっているように感じています。そこに福祉事業者がメインで関わっていたりするのでどういうことなんだ、というのが、私の率直な感想です。工藤さんもアーティストととしての視点から違和感を感じているように思います。なんかこんなことも掘り下げていたただけたら、嬉しいです。

    1. barrierfreefront より:

      手塚さん、コメントをありがとうございます。そうでしたか、工藤さんとお知り合いでしたか♫。はい、このエピソードは、鮮烈に深く私の心に残っていました。そして、今は大学生になった息子さんに、「障害がある同級生と一緒に小学校時代を送っての思い出はありますか?」と、伺いましたら、「障害があるからどうだった的なことは印象として覚えていないですね」と。このコメントの威力に、めまいがするほど感動しました。もう、彼らにとっては、それが当たり前だったんですね…小学校時代にそうした機会をもつことの“破壊力”は本当にすごい!(笑)と思いました。そして、アール・ブリュットに対する昨今の「障害者アート」という概念には私も強く違和感を感じています。人間という生き物が本能によって描いたり、形作ったりする“生”の芸術であるはず。それも、工藤さんから教えて頂きました。工藤さんの、アール・ブリュット作品を探す目は非常に厳格なものでした。“作ること、描くことを誘導されたもの”は明確に否定していらっしゃったのを覚えています。

      1. 手塚玄 より:

        そうです、工藤さんはそんな素敵な方です。

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