vol.57 手話という言語の魅力

まるで“演劇教室?”な、手話教室

かつて2年間ほど手話を学んだことがある。

講師はY.Tさん。場所は地元の新聞社の文化センターだった。

高橋先生はろう者で、大変な苦労と努力の末、日本語を操るようになり、札幌市に勤めた後、自らの事務所を立ち上げられた。のことで、先生は、D.L文化(D.Lとはデフ・ランゲージ〈Deaf language〉ろう者の言語)を広める教室を開いたり、手話教材のDVDを製作などをするハンサムウーマン。

彼女の手話教育は独特で、まず、その教室には手話通訳がいなかった。

先生は、身振りと手振り、そして豊かな表情と、自作のイラストを示しながら講義を進め、

私達生徒は、全身でその、先生が言わんとすることを感じ取ろうと100%の意識を先生の一挙手一投足に注いだ。

要するに、外国にいきなり飛び込んで、その国の言語のシャワーをあびる…というのと同じ訳。

手話には、片手5本指で表現する50音も単語表現もあるが、それから入るのかと思いきや、そんなものは、まったく教えてくれません!

どうにか自分の名前をどう表現するか習った後は、

ひたすら、イラストで示された情景について、一連の動作を全身で表現するよう指示されます。

最初の課題は「山登り」。(今も、教室仲間とはその時苦戦した思い出が話題に登ります…笑)

山の登り初めから頂上にたどりつくまでプロセスを、教室の前へ出て、全身で演技するのです。

山登りイメージ写真

yamasan0708さんbyPhotoAC

ん?これは手話教室のはず?いやいや、ひょっとして演劇クラスに迷い込んでしまったのか?と、錯覚するほど、

単に、「テクテク(登る)」「もぐもぐ(たべる…リスみたいな動作で)」「ふ〜(汗をふく)」「万歳!(到着)」程度の表現では、容赦ないダメだしを喰らい、より緻密な表現が求められました。結果…

私達の表現力や描写力がどんどん増し、顔の表情が豊かになっていきました。

「お、靴の紐がほどけちまった!」「道ばたに綺麗な花が!」「小川のせせらぎが遠くに聞こえる〜」など、小技も織り交ぜるまでに(笑)。

そうして「身体で表現する」感覚を覚えて初めて、先生は、単語や五十音を教えて下さいました。

要するに、単語や文法から入るのではなく、いきなり生きた会話から入る手法。

最初はスーツ姿で来ていたサラリーマンの男性も、次第にTシャツ、トレパンに着替えて参加するようになったほど、「全身で表現する」ことをたたき込まれた手話教室でした。

手話は感情に直結した言語!?

そうして身につけたことで、分かったことは、

手話は、とても豊かな情感をもって表現する言語だということ。

とあるバスに乗車した時。車内の一番後ろに手話で話すグループがいて、何を話しているかは分からないものの、みな「びっくり!」「そーーなの!?」「へぇぇぇ〜」「あははは!」という動作と表情があまりに豊かで楽しそうで、

思わず、「仲間に入りたい…」衝動に駆られたことがあった。

楽しそうに会話擦る人々

acworksさんbyPhotoAC

手と指で表現するのが単語や文法なら、顔の表情=形容詞といえば分かって頂けるだろうか。

顔の表情=気持ち

私達は、言葉で「嬉しい」と言いながらも、心で「いや、それほど嬉しくない」と思っていたり、

「美味しい」と言いながらも「最悪〜」と考えたり…

言葉と感情を別チャンネルで使い分けるが、手話はイコール。ごまかしは許されないのだ。

だからなのか、手話は、

ニュージーランド手話、アメリカ手話、フランス手話、そして日本手話(方言もある)と、各国それぞれであっても、

それぞれの手話スピーカー同士が互いの手話で会話すると、だいたい3日あれば、意思疎通に困らなくなるそうだ。

満面の笑顔で頬をなでながら食べ物を指せばは、それは「美味しいよ〜!!!」という表現であり、

ある人の話が面白くなければ、その人を指して、いかにも「退屈!」という表情をする。

だからこそ、手話は、人として共通する感情を「どストレート」で表現する感情直結言語なのでは、と、私は思う。

手話で話すと頭の塵が払われる!?

手話で話すと頭の塵が払われたような…お風呂に入った後のような、す〜〜っきりするという体験を何度もした。

それは、心と表現が一致しているからなのだろうか。

私達は、必ずしも実際の感情とは一致しない言葉に、あえて変換しながらしゃべる。

それは、いつのまにか意識せずに脳にある種のストレスをかけているのだろうか?と、勝手に考察したり。

たった2年ぽっち学んだだけで、さも知った風に語るのも厚かましい限りであり、

私個人の感想なので、当然異論もあろうと思う。

 

「令和」発表の記者会見イラスト

ちびこママby イラストAC

最近、政治家の記者会見などにもつくようになった手話通訳の人などを見ると、

むしろ、感情を退け、もくもくと変換作業をしているよう見える。

 

 

 

しかし、手話は本来、手で表現できる限られた単語で表現する補完的な言葉ではなく、

驚くほど多彩な表現をもつ、まさにデフ文化と呼ぶにふさわしい「豊かな言語」であることをお伝えしたいのです。

2019.9.26

 

 

 

 

 

 

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vol.57 手話という言語の魅力” に対して1件のコメントがあります。

  1. 野口いずみ より:

    先生、お久しぶりです
    お元気ですか?野口いずみです。
    以前お手紙等頂いていたのに返信できず申し訳ありませんでした。
    お産の後は自分が予想していたよりどたばたです。
    最近、施設の訪問看護を週1ですが始めました。経済的な事もあるので手話教室通えなかったのですが、事務所も移転されたとお手紙にありましたが、もう事務所もやめらたのでしょうか?
    コロナ禍で生活が大変な状況ですね。
    先生、お体お大事にしてくださいね。

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