vol.65 半身麻痺で運転する理由〜半谷さんに教わったこと
故郷 福島県富岡町を離れ…
先週、福島県から、友人の半谷克弘(はんがい かつひろ)さんが8つの車輪で北海道にやったきた。
8つの車輪とは、自家用車の4輪と電動車イスの4輪である。
半谷さんは、脳出血で左半身麻痺となり、歩けるものの、日常生活においては車いすが欠かせない。
半谷さんは今、福島県いわき市在住だが、元は、福島県富岡町に住んでいた。
働きながら男手一つで2人のお子さんを育て、そのお子さん達もやがて結婚。孫が生まれる度に、新しい果樹を庭に植え、有数の果物の産地 福島だけあって、季節になると、ゆず、あんず…と次々に実った。
かつて、私に、ゆずを箱一杯送って下さり、その新鮮採れたてのゆずの山を箱の中に見た時、金貨のごとくピカッ〜!と、光があふれ出るような心地を味わわせて頂いたこともあった。
そして、半谷さんの家の敷地内に息子さんが家を建ててまもなく、あの震災が起きた。
東電第二原発のある富岡町は地震で揺れたが家は無事だった。第二原発には影響は無かったが、しかし、第一原発の30㎞圏内ということで帰還困難区域に指定され、強制退去。避難所を転々した挙げ句、仮設住宅暮らしを経て、いわき市に移り住んだ。
親子で大切に育んで来た愛着ある家と庭が、住む人を失って朽ちてゆくのを断腸の思いで見、他所へ移らざるを得なかった心中はいかばかりだったろう。
半身麻痺で運転する理由
その半谷さんの趣味が「運転」。
福島から三重県伊勢市へ、九州は佐賀県嬉野へ、そして、北海道上陸からのぐるっと一周!
と、とにかく運転する。
半谷さんって、本当に運転が好きなんですね〜と言ったことがある。
その時半谷さんが言った言葉が忘れられない。
「左半身に麻痺があるけど、右手と右足だけでも運転はできるから。
ボクの場合、麻痺しているのは運動に関わる神経で、実は痛覚は残っているのね(←福島弁のニュアンス)。柔らかいタオルが触るだけでビリっとするほど痛覚は敏感で、とにかく四六時中痛くって痛くって、じっとしてられないのよ。
運転してる時が一番気が紛れるんだよね。」
私はそれまで、麻痺に痛みが伴うとは知らなかった。
半谷さんは、そんな身体で愛着ある自宅を離れることを余儀なくされ、長い避難生活を送り、一時は年老いた母親の食事作りもしていた。受傷後には、障害がある人が確実に駐車スペースに止められる権利の獲得を目指し、全国の役所に働きかけるなど運動している。
しかし…いつ会っても、半谷さんは朗らかに笑っているのだ。
そんな半谷さんの今回の旅の目的はずばり「ラーメン旅」。
出発前に送ってくれた細かい自作の旅程表には…
函館「あじさい」、札幌「純連」「すみれ」…、旭川「青葉」「蜂屋」など、いずれもそれぞれの地域が誇るラーメン店の名前が列記されていて、中に…
“札幌滞在中に「純連」「すみれ」「雪月花」のいずれかに訪麺”
と書いてあったのには笑った。
かくして、半谷さんは5日間をかけ、途中フェリーを乗り継ぎ、岩手ー函館ー札幌ー旭川ー小樽ー函館ー岩手間、距離にして1500㎞超を一人で走破し、各地を訪麺して行った。
半谷さんは言う。
「ボクね、こうして障害者になったからこそ会えた人が沢山いるし、
気づけたこともあったから、良かったとは言わないけど、悪くないって思うんだよね」
そうした多くの気づきを教えて下さる方がいるからこそ、
私ももっともっと伝えていきたいと思うのです。
2019.10.8