vol.78 病気や障害は“体の問題”ではない!?〜医療人類学から
今日は、国や社会が違えば、病気や障害についての考え方も変わる!?というお話。
かつて私が民放放送局で担当した番組で、北海道医療大学で医療人類学を研究している
H准教授(当時)にインタビューさせて頂いたことがありました。
私達は、病気や障害を「体の問題」と考えていますが、医療人類学的には…
「社会や文化」の問題として考えると言います。
それはいったいどういうことでしょう?
文明社会におきる逆転現象
H先生が研究しているアフリカのある地域では、
未だに、病院や福祉施設が全くない所も多く、お年寄りや障害がある人が当たり前に地域で暮らしているそう。
H先生は…
文化が進んだ国では、病気や福祉は専門家に任せてしまうようになってしまっているが、
アフリカ社会などでは、子供から大人まで、医療や介護の知識や技術を当たり前に持っている。高齢者は亡くなるまで家族の中で過ごすし、看取られるのがごく普通。
と、おっしゃいます。
そんな社会と私達が暮らす文明社会と比較し、
先生は、社会のあり方によって、病気や障害の重さが変わると言います。
例えば、足に障害がある人の周りが、凸凹だらけの整備されていない「歩きにくい道ばかり」だった時……
○その人を支える人がいない社会→障害が重く感じられる
○その人を支える人が側にいる社会→障害が軽く感じられる
と、体における障害そのものではなく、人的資源や環境によって、本人が感じる障害の重さを変化させることができると言うのです。
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さらに先生は、その文化観によっても変わると言います。
○病気や障害がある人を、健常者に比べ「劣っている」とみなす文化
→病気や障害がある人の精神的負担が重くなる
○アフリカの一地域にみられるような、目の見えない人や手足に障害がある人を宗教的に「特別な能力がある存在」とみなす文化
→病気や障害がある人の精神的負担は軽くなる
より発達した文明社会である方が、優れた医療で治療できる機会がある反面、
「健常」であることが基準の社会は、病気や障害を「正さねばならない異常な状態」「健常に比べ劣っている」と考え、当事者の人々の精神的負担を重くし、
文明的に未発達で、病気や障害が身近で当たり前な社会の場合は、当人も周囲の人もそれが「普通」と捉え、気持ちの負担が私達の社会に比べ軽い場合もある
というお話はとても興味深いものでした。
人は誰しも年を取り、年を取ることで、若い頃にできていたことが出来なくなってゆくのは当然なのに、どこかそれが「老化」「衰え」というマイナスなイメージで捉え、憂えていた考えにはっとさせられました。
病気や障害は、体そのもの問題ばかりではなく社会や文化のありよう、私達一人一人の捉え方や考え方、接し方によって変わる…ことを今一度かみしめたいと思います。
2019.10.25