vol.92 消えた車名〜真のユニバーサルデザインとなったHonda 「N-BOX」②
「N-BOX+」の開発は福祉車両を否定するところから始まった
2012年7月に発売された「N-BOX+(エヌボックスプラス)」は、どういった経緯で開発されたのかーーーーー
当時、「N-BOX」開発の陣頭指揮を執った
四駆R&Dセンター主任研究員(当時)浅木泰昭さんにインタビューさせて頂いた時の映像を見返してみると、その第一歩からまったく違っていたことが分かります。
本田としては、軽自動車で必ず福祉車両を1台作ろうという(方針だったため)、
私は、N-BOXを開発する時に“福祉車両を作る”役割もありました。
そこで、浅木さんは、福祉車両が一堂が介する「東京国際福祉機器展」を見に行ったそうです。そこでーーー
四駆もなく、価格も高い…のに本田は大赤字。まったく商品魅力がない
(当時の本田の福祉車両を見て)恥ずかしかったですね。
福祉車両だから、“高くてもしょうが無い”、
福祉車両だから、“車いすを乗せることができれば良い”
そんな発想が当時は当たり前でした。
しかし、浅木さんは、商品としての魅力を創りだすため、高い目標を設定しました。それが…
どうやって安くするか?ということ。
この課題に対し浅木さんは、
車いす仕様車の広い後部を車いすに関係ない人達にたくさん使ってもらおう。たくさんに乗ってもらうことで安くしよう(利用する人の幅を広げよう)
と、考えました。
従来、車いすが載るスペースは車いすだけでしか使えなかったところ、中からイスが出てくるようにし…
スロープ=車いすの人達だけのものという考えを、
様々な重い荷物を気軽に運びたい人達が使えるユニバーサルブリッジにしたのです。
そもそも、N-BOXそのものの開発目標が
「世界最小のエンジンルームを創り、軽の規格の中で最大の荷室を創る」こと。
そこで、後部の骨組みを、最初からスロープをとりつけられるよう、斜めにしておくことで、様々な用途に使用できる汎用性を獲得できたという訳です。
浅木さんはまた…
創ってみて(後から)分かったことですが、「普段使いもできる」というコンセプトが、逆に車いすでの利用が必要な人達にも非常に買いやすい車になりました。
夫婦二人いたら、親が4人。普通の生活の中に介護が入ってくる時代に喜んで買ってもえる車が出来たと思っている。
と、おっしゃいます。
そうした経緯を経て、2012年の誕生から6年後にN-BOXプラスの車名は消えることになりました。
浅木さんは、そうした発想と手法をもって、今年、F1において、Hondaを優勝に導きました。
規定概念を否定すること。
チームを巻き込んで不可能と思うことを実現してゆくこと。
N-BOXを通し、車という巨大産業におけるユニバーサルデザイン実現の経緯に学び、
自分のできる範囲の中でもきっと出来ることがあると信じ進んで行きたいと改めて思いました。
2019.11.15