世界がまだ見ぬ“最新バリアフリー”ボールパークへの提案⑤〜 心づくり編 no.130
しつこくボールパークさんへの提案…という形を借りて、
今後一層大きなうねりとなってゆく、少子高齢化&多様性共存の時代にむけ、
大規模施設の理想かつ持続可能なあり方をまとめています。
昨今流行のSDGsですね♫
少子高齢化および多様性共存を大きなうねり…と言いましたが、それは、もう、すでに
始まっています。今、その変化をいかに敏感に予測し、備えておけるか。
今の基準に添うだけなく、先回りして考えることが息の長い建物・施設の存続にも関わってきます。
と、前置きが長くなってしまいましたが、今日は、「心づくり編」。
このコラムで何度も書いて来ましたが、建物の作りやサインというパーツだけでは追いつかない部分を埋めるのが、柔軟性ある……例えれば、骨と骨を結ぶ軟骨のような働きをする部分。それがまさに人的サービスです。
施設の運用を柔軟・円滑にするまさに要となります。
障害者は可哀想じゃありません。
昨今の人的サービスに欠かせない「心のバリアフリー」観には、実は、
健常者と障害がある人の間に深くて大きな溝があります。それは…
健常者は、「障害者を可哀想と思うこと」が心のバリアフリーと思い、
障害がある人は絶対に「可哀想と思われたくない」と思っています。
これが、もう、見事なまでに長年に渡りすれ違っているポイントです。
サービスを提供する側には、ぜひ、この認識のズレを知ってほしい。
健常な人がよくする誤解は、障害があること自体を可哀想と思ってしまうこと。
それは、健常者じゃないことが気の毒だと、漠然と思い込んでしまっていることに他なりません。
障害者は、可哀想じゃありません。
障害があること自体が可哀想なのではありません。
身体の一部や複数に障害があることで、他の人はできることができない、叶わない事が可哀想であり、気の毒なのです。
なので、その人本人の状態ではなく、その人がしたくてもできない要因を的確にフォローすることこそが
ばっちり焦点の合った心のバリアフリーになります。
必要なのは、
ぼやっと可哀想がって、勝手になんでもしてあげようとする=的の外れた過剰サービスではなく、
できない部分を明確に見分けて、その部分をフォローすること。
車いすの人を見かけたら、
漠然と「何かしてあげなくちゃ」と、むやみに、了解もえず突然後ろから押すことことではなく、
泥よけマットに車輪が沈んで進みにくい…ことに気づいて、お助けしましょうか?と声をかけて、ちょっと力を貸すこと。
この先、エレベーターを探すんじゃないかな?と予測して、「ご案内しましょうか?」と声をかけて「yes」と言われたら案内すること。
そうした気づきのエキスパートになるには、コツと訓練が必要ですが、
難しいことではありません。
ポイントを押さえた「協創UD」的感覚を身につければ、単なるボランティアスタッフがスーパースタッフになることができます!
新しくできる、道民みんなのボールパークに、
たくさんの焦点がばっちり合ったスタッフさん達があふれ、
ファイターズの選手達とお客さん達を結ぶ要になりますように。
2020.3.9