バリアフリーを個の努力から解放する〜システムで取り組む未来型バリアフリー考察① no.154
私は、13年間バリアフリー・ユニバーサルデザインのTV番組を制作し、20数年間、多くの障害がある人や関係者と関わり、見続けてきましたが、今思うのは、
バリアフリーをもう…
個の努力に任せるの辞めませんか
ということ。言い換えると
個々の努力でどうにかして下さい…という考えから脱すべきと考えます。
バリアフリーは倫理や思いやりでなし得るものではありません。
今、障害がある当事者の皆さんにとっては「生きる権利」そのものですし、
今後続いてゆく少子高齢・多様性社会を形作る私達すべてにとっても「生き残り戦略」だからです。
理由は簡単です。
人は高齢になるに従い、身体のあちこちに不自由が起こります。
不自由だからと皆が家から出ない、消費もしないとなると経済が細るのは目に見えています。
2019年9月現在の日本の高齢化率は28.4% です。
※総務省統計局https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1211.html
すでに約3人に一人が65歳以上ということです。
まぁ、65歳で高齢者と呼ぶのはどうか…という議論もありますが…
私も50歳を過ぎ、老眼、筋力の衰え(運動不足も否めませんが)、これまでなかった身体の不調など、
歳をとるとはこういうものかと実感する現象を日々味わっています。
とにかく、高齢になろうが、どんな風に身体に不自由が起ころうが、出かけ、食べ、出し(排泄)、働き、楽しむ…
をできるだけ自立してできる社会に変えていかないと、
立ちゆかなくなってゆきますよね。
これまでは…
国や行政が「こうしたら良いんじゃね?」「こうしましょうよ〜!」と法律や指針を作り、“個”単位の施設や店や人がそれらを参考に個々で努力してきた
…というのが実情でした。
んで、やっかいなことに、そのモチベーションの根源は「思いやり・倫理観」というヒジョーに曖昧なものでした。
日本はどうも、好きなんですね…こういう…権利を振りかざすんじゃなく、人々の思いやりで良い町ができた…みたいな話が。
しかし、ずっと取材者として“福祉分野の社会の中でのあり方”を見て来て、それじゃぁ、進まないし、進んだとしてもとても遅く・小規模だということが分かりました。
思いやりを原資にすると、その実現は、その人のおかれている状況に左右されます。
資金、影響力、発言力、使命感などなど。
特に昨今のコロナ禍において、自らの事業の運営・生活がままならない事態になると、個別努力型バリアフリーは2歩も3歩も後退することは目に見えています。
そこで提案したいのが「個の努力から解放する〜未来型バリアフリー」の方法です。
個の努力から解放する〜未来型バリアフリーとは
バリアフリーが進まない大きな原因の一つが、「バリアフリーはこうすれば良いよ!」という
統括的にアドバイスできる機関・人材の「不在」です。
何をぬかすか!福祉については、建築・物作り、哲学、制度、歴史などを研究する多くの専門家がいるし、
自らの身体で感じた不自由を力強く発信している障害当事者も沢山いるではないか!とおっしゃるかもしれません。
たしかに、いらっしゃいます。私も多くのそうした方々にお会いし、取材・勉強させて頂きました。
ただ、どこにいるか分からな…くはありませんか?
分からないだけに、みな個別に探します。
大学・学会を当たったり、紹介してもらったり、ネット検索したり、人づてに聞いたり。
しかし、せっかく探して講演やセミナーを開いても、そこで得た情報を、地元の規模感に合わせて生かして行くには時間をかけた検討やフォローが必要です。
また、障害当事者の方にお話を伺おうとしても、車いす(下肢障害)、視覚・聴覚障害、内部障害、加齢による病気…など多岐に渡り、総括的に全体を見渡してのアドバイスは難しい。
回りくどくですみません。
要するに、
一つの地域に、その地域のバリアフリーを把握し情報を集め、アドバイスできる専門機関・団体を置き、長期的に取り組んでゆくシステム体制を整えることが解決の糸口になるのではないかと考えます。
その形のヒントとなる取組をしている地域があります。
三重県鳥羽市にある「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」です。
次回以降で詳しく説明して参ります。
2020.9.4