vol.93 れいわ新選組 舩後・木村両議員は“かわいそう”?
昨日、ある人からちょっと興味深い質問を受けました。
それは…
「れいわ新撰組の舩後さんと木村さんが議員として働くことについてなんですけど、
国会で質問する姿とかをニュースで見ていて、なんだかかわいそうだよねって、
職場の友達と話したりするんですが…どう考えたら良いものなんですか?」
というもの。
興味深い…と、思ったのは、短い言葉の中に、社会の、障害がある人に対する「思い込み」が垣間見られたことでした。
自らの意思で出馬して当選を果たし、障害当事者議員として活動している二人の議員を“かわいそう”とは?
たぶん、その方(かた)やお友達は、
あそこまで重度の障害がある人達は、まさか自分の意思で出馬している訳ではなく、“担ぎ上げられている”と、思っていらっしゃる…ようでした。
舩後さんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した後、一度みずから選挙に出馬し落選した経験をお持ちで、その後れいわ新選組から比例代表で再挑戦し当選を果たしましたし、
木村さんは、0歳の時の事故で、頸椎損傷の障害を負いながらも、自らヘルパーステーションを設立し、長年、障害者の自立支援運動を展開されてきました。
そうした経歴から見ても、「担ぎ上げられている」「政治に利用されている」という解釈にはならないと思いますが、
しかし、その方(かた)やそのお友達だけではなく一般的に、日頃障害がある人と接点がない人達は、経歴云々以前に、
あんなに重い障害があったら、
「自分の意思で出馬するはずがない」「無理にやらされている」という発想からの
“かわいそう”という発言に至っている…らしい。そのことを私は、逆に新鮮に感じました。
その方に対し、私はこうお答えしました。
まず、私は、舩後さんと木村さんは、経歴からみても、みずからの意思で出馬し、その上で、当選して議員になった(と、思っている)のでかわいそうという表現はあたらないと思うこと。
そして、お2人が国会に届けようとしている主張(現行の障害者行政の不合理な問題の解決をめざしている)に心から賛同しているので、応援をしたいと思っていると、言いました。
実はこれと同じことが、お二人のような重度障害ではなくとも、障害がある人に対してもよくあることの一つで、人は“かわいそう”と、思った瞬間に、かわいそうだけど、私は何もできないと、思考停止してしまうのです。
必要なのは、障害が重いから何もできない、何をしたいとも思わないに違いないと、思い込んで同情することではなく、何かをしようとしている人に対し、自分は何ができるのか?を考え、応援・支援すること。
それは、障害の有無は関係ないですよね。
なので、私ははっきり申し上げます。
舩後さん、木村さんはかわいそうじゃありません!
2019.11.18