協創udコラム vol.113 今障害がある誰かに何かするのが福祉じゃない。
先日の「大逆転は起こりうる」で、未来の日本社会ver.を書いてみましたが、
その後に書き足した部分…
福祉は施しではなく、合理性。
やさしさや思いやりなどではなく、戦略です。
さ、発想をひっくり返しましょう!
を自分で読み返してみて、言葉を付け足したくなりました。
福祉は、やさしさや思いやりなどではなく…のあとに、
今障害がある誰かに何かするのが福祉じゃありません。
を付け足したい。
まもなく訪れる、日本における総人口の3人に一人…30%以上が65歳以上になる超高齢社会で、
確実に増えるだろう身体に不自由を抱えて生きる多くの一般国民が、
不自由があっても学べる、働ける社会を作っておくためには、今、障害がある人々に学び、共にその方策を検証・確立しておく必要があるのです。
昨日、19人もの障害がある人を殺害した植松被告の裁判が行われました。
「障害者は不幸をもたらすだけの存在」?
冗談じゃない。
人間本来の、自然界における生き残り戦略は「多様性」。
以前、「Yahoo智恵袋」に投稿された質問
「弱者を抹殺する。
不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。
でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?」
に対する回答が凄まじい!と話題になった文章があり、私はこの説に賛同します。
少々長いですが、ぜひ、お読み下さい。私は納得!!しました。
(下の青字をクリック下さい。)
暗闇や草原で外敵を察知する能力に人一倍長けた人が、今、多動傾向がある人だったかもしれない。
森やジャングルの中で果実を見つけるのが得意だった人が、今、色弱と呼ばれる人だったかもしれない。
生身では、自然界において決して強い存在とは言いがたい人類が、
今の繁栄を築いているのは、様々な能力の違いを利用しあうことで生き残ってきた要因ではないかと思うのです。
自分の中にだって、今の社会では生かされない、サバイバル能力がある可能性だってあります。
福祉は障害がある誰かに何かすることではなく、
障害がある人々は、現代社会の不自由を顕在化させてくれる役割であり、協力して人類共通の課題や困難に立ち向かう相棒。
福祉は、人類だからこそできる生き残り戦略です。
2019.1.9