「はいれる」と「迎い入れる」の違い〜素晴らしい施設と普通の施設の分岐点 no.125
「バリアフリー」というと、目に見える物理的なバリアを無くすことをイメージしがちですが、
2018年あたりから、今年2020のオリ・パラ開催に向け、内閣府などが主導する形で「心のバリアフリー」を目標に掲げるなど、人々の意識のあり方にもスポットが当てられるようになって来ました。
とはいえ、このコラムでも幾度か触れてきましたが、人々の心にあるバリアは、
コンクリートの段差をガガガっと、削って壊すより難しい場合があります。
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いわゆる身体に特段の不自由がない…健常者にとって、新しくできた空間や建物に入る時は、オープンな施設であれば、「自分がそこに入る権利」があることを疑いません。
しかし、身体や判断力に不安がある人が、中に入ってみて(あるいは入る前に)
目に見える形で段差や階段があったり、扉が重かったり、行きたい場所にはどう行けばいいのか判断出来なかったり、エレベーターやエスカレーター、トイレの場所が分からなかったり、または、限られた場所にしかいけなかったりすると、
周囲から取り残された気持ちになり、
建物の中にたとえ「はいれても」「迎えられていない」と感じます。
と、若干ネガティブな書き方をしましたが、実は
これを逆さにしてみると…
段差や階段があっても、エレベーターやエスカレーターの位置がサインなどで分かりやすく表示されていたり、
重い扉を開けて「どうぞ〜」と、言ってくれる人がいたり、
トイレがどこにあるのかすぐに分かったり、
みんなと同じ空間に堂々と案内されたりすると、
途端に…この上ない素晴らしいバリアフリー空間へ変貌します!
一歩踏み込んで、迷う、困るポイントを先回りして考え、フォローすることが、
単に「はいれる」だけでなく、しっかり「迎え入れる」
真のバリアフリー空間を達成できるのです。
特段の「訴えがなければ、問題もない」のではありません。
聞き入れられない声はあげても無理と、あきらめている結果の沈黙だってあるのです。
それに気づくか、気づかずにスルーするかで、
より素晴らしい空間になるか、普通の空間で終わってしまうかを分ける分岐点があります。
素晴らしい空間へと変貌させるエッセンスを小さな声からすくい取って行きたいですね。
2020.2.20