バリアフリーを個の努力から解放する〜システムで取り組む未来型バリアフリー考察② no.155
個の努力からバリアフリーを解放し、システムで創ってゆく方法ーーー
そのヒント&見本として紹介したいのが日本古来の有名観光地 伊勢 での取組みです。
日本古来の観光地 伊勢。いち早く社会の高齢化による影響が直撃
伊勢は言わずと知れた「伊勢神宮」のお膝元。伊勢、志摩、鳥羽に住む皆さんは、
自分達の住む地域を神様が住まう場所=神領(しんりょう)、
そして、ご自分達のことを神に仕える民=神民(しんみん)、と呼びます。
伊勢神宮はご存じのとおり、20年に一度お社(やしろ)を丸ごと建て替え、お引っ越しをされる一大イベント
式年遷宮(しきねん せんぐう)を行います。
すでに1300年渡り、一時の中断はあったようですが、ほぼほぼ欠かすことなく行われてきた大きな行事で、前回は、平成25年2013年に行われました。
第一回は西暦690年…学校で習った大化の改新645年の45年後ですよ!。驚きですよね〜!
要するに、伊勢は特段の“集客”をしなくても、勝手にお客さんがやってくる人気の観光地であり、江戸時代には、「一生に一度は行きたい伊勢参り」と言われ、庶民憧れの地。
その恩恵を、
伊勢のみならず、太平洋に面した風光明媚な志摩、伊勢と志摩の間の鳥羽 3地域が享受してきました。
20年に一度に行われる遷宮のお陰で、たとえ一時期 客足が落ちても、遷宮の年に向かってまた右肩上がりに増える周期を繰り返してきたそうです。
しかし、バブル崩壊と時を同じくして、社会の高齢化に伴う深刻な事態に直面したのです。
それは、歴史があるだけに、旅館や民宿、ホテルなどには昔ながらの段差が多い造りが多くで、
伊勢観光の主力客層たる高齢世代の人々が、交通網の発達も相まって、伊勢はお参りだけで素通りし、宿泊は、名古屋など大都市部に流れるようになってしまったのです。
昔ながらの風情を喜ぶ若い人や外国人もいますが、なかなかそれでは採算が取れなくなってゆき、潰れる旅館も相次ぎました。
いわば、社会の高齢化が観光・経済にいち早く反映された訳です。
しかし、伊勢はそれまではとは全く違う取組みにより、復活・再生します。
まさにピンチをチャンスに変えたと呼ぶにふさわしい奇跡が起きたのです。
その、伊勢観光再生のキーパーソンに登場してもらいましょう。
①アユミさん&コーイチさん
②中村元(なかむら はじめ)さん
③三重県知事
①アユミ&コーイチさん〜地元に密着した情報拠点の誕生
アユミさんとコーイチさんは、年号が1900年代から2000年へと変わるミレニアムな頃に出逢いました。(現在はご夫婦)。
コーイチさんは車いすユーザーのナイスガイ。タウン誌編集者だったアユミさんはコーイチさんに逢うなり、たちまち恋に落ち、車いすでいけるお店情報を集めるマップを作ろう!と、デートに誘いました。ところが最初はデートに誘う口実だったのが、
この二人が核となり、他の障害がある仲間や建築士や地元の観光業者、政治家も参画して、視覚に障害がある場合は…聴覚障害は…高齢者・親子連れにとっては…など、
段差のある店や旅館・ホテルの現状を調査。
いわゆるバリアの有無を調べるだけではなく、
どう改善すると良いのか、どうフォローすれば良いのか、他に方法は無いのかなど、
手探り・手探りで情報を集めました。
そして、バリアフリーマップを発行するのに留まらず、伊勢を訪れたいと願う障害がある人々からの問い合わせにも対応するようになりました。(後に詳述しますが、旅館のバリアフリー改装への助言も!)
まさに、地元の人による、地元の障害がある人の目線を生かした、バリアフリー情報拠点が誕生したのです。
現在も、NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンターとして精力的に伊勢志摩鳥羽観光の重要な支え手となっています。
②中村元(なかむら はじめ)さん〜草の根運動と行政の橋渡し役
2番目に登場頂くのは、中村元さん。
中村さんは、北見市留辺蘂にある「山の上の水族館」の集客数をV字回復させた立役者であり、
東京池袋のサンシャイン水族館を成功に導いた敏腕水族館プロデューサー。
と、同時に、実は、前出のNPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの現役の理事長です。
活動発足当時は、鳥羽水族館の副館長でした。
中村さん曰く「本業は水族館プロデューサー、バリアフリーは道楽」。
現在は、本業の水族館プロデュースでがっつり稼ぎ、バリアフリー関係の講演などによる収益はすべてNPOヘ入れている…と、ご本人がおっしゃってます(笑)。
私が提案したい「バリアフリーを個の努力から解放するシステム」の中における中村さんの役割は、
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターのスタッフの言葉がうまく言い表しています。
曰く「ウチの理事長は、補助金事業を引っ張ってくる天才」。
そう、いくら公共に利する良い活動であっても、情報を収集したり、まとめたり、提供したり、維持・更新したりするには、財源と行政との連携・協力が必要不可欠。
中村さんは、その類い希なるプレゼン力、人を説得する話術、押しの強い人柄によって民間による草の根活動の、行政とのパイプ役を担い、資金調達する天才でした。
やはり、一民間団体だけでは、出来ることが限られてしまうところを、うまく行政の
「観光振興」「高齢化への対応」「観光の再生」を担うセクション(部署)と結び、互いにwin-winの関係を築くパイプ役になりました。
いわば、民間団体と行政の橋渡し役という訳です。
③三重県知事
三重県における行政の長=知事が、バリアフリー推進の必要性をしっかり理解し、力強く指示・支持したこと…はやはり大きかった。
現在の伊勢志摩バリアフリーツアーの活動につながる萌芽期において、当時の北川知事(1995〜2003年)がその意義を認め、バリアフリー観光のトップセールスをかって出たこと。そして
現在の鈴木英敬知事(2011年〜)も、バリアフリーの必要性を認め、2013年6月に「日本一のバリアフリー観光県推進表明」をしました。
草の根活動は草の根だけでは維持はしていけません。
特にバリアフリーのように、息長く続けていかなければならない活動に、行政の長の理解があれば鬼に金棒という訳です。
以上のように、
バリアフリーを個の努力から解放するには…
① 地元に根を下ろし、息長く、情報収集(input)とアドバイス・紹介(output)を担う民間団体
② ①を単なる草の根活動で終わらせない行政の協力とバックアップ
③ 決定権あるトップの理解
以上の3つが連携することで、伊勢では、個の努力に頼ったり、押しつけることなく、県全体でバリアフリー観光を推進しています。
そしてこれは、①②③がそろって終わりではなく、③があることで、まだバリアフリーに気づいていない人も、
「自分達もやってみよう。どうすれば?」と①に戻る訳です。
限りなく公共性、未来性につながるバリアフリーノウハウは、民間だけでもだめ、行政サービスだけでもうまくいきません。
こうしたダイナミックなシステムがあってこそ回ってゆくこと、継続できることを伊勢が証明してくれました。
次回は、このシステムが互いにどのように連携し、活用しているのかご紹介します!
2020.9.11
伊勢の観光は一時衰退の一途をたどっていました。
え〜?
観光を核に、そのシステムは実にうまく機能している地域があります。