vol.35 「かわいそう」考
「かわいそう」とは
昨日に引き続き…
「障害がある人は“かわいそう”じゃない」ことについて。
そもそも…
“かわいそう”という言葉を使うシチュエーションを想像してみる…
*幼い子供が転んで泣いているのを見て、お母さんが「あらあら、足をすりむいちゃってかわいそうに!」→うん、優しい。良いニュアンス。
*視覚に障害がある水泳のパラアスリートが、記録をめざして練習しているスポーツニュースを見て、おばあちゃんが「かわいそうに、目がみえないんだね」とつぶやく
→すごい、違和感!だいたいこのニュースはそういう趣旨じゃないし。
健常者ってナニモノ?
体に障害があって、何かをするのに困難なことに対して「かわいそう」と思うのは割と自然な感情。でも…
そうか、「健常者ではない」ことをかわいそうと表現するのが違う!のだ。
そもそも「健常者」って…!?どういう人のこと?
すこし話が逸れますが、
私の伯母は、私が生まれる前に亡くなっているのですが、話を聞くと、
精神を病み、いわば座敷牢に入れられていたそうです。
家族は周囲から隔離することで伯母を守ったに違いありませんが、
そこに「恥ずかしい」「不憫だ」「かわいそうとおもわれたくない」という表現もつきまとっていました。
村社会たる日本の風土による、複雑な感情も関わっているように感じます。
もとい、
身体的な障害があっても、いわゆる健常者とよばれる人達より、数倍すぐれた人間性、人格、チャレンジ精神をもつ人達がいることを私は知っています。
だから、「健常者じゃないからかわいそう」という発想には毅然と異を唱えていきたいと思います。
2019.8.27