vol.58 健常者はバリアが見えない
バリアを見つける目
事故で車いすユーザーとなった佐藤友治君は言います。
障害者の身になって考えようなんて土台無理。オレもなってみて初めて見えたことだらけ。
佐藤君は、車いすユーザーになって初めて、
→歩道が道路に向かって傾斜していてまっすぐ進めない。
→ちょっとした段差は、上がれるけど、むしろキツいのは、凸凹道。
→積もった雪が、凍っているならまだ良いんだけど、ざっくざくになった道は絶望的
→エレベーターやエスカレーター(彼は腕力でエスカレーターに乗ります…最近、「車いすでのエスカレーター使用禁止」と表示している所もありますが)がなければ、上下階の移動はまったく出来ない
→そして、そうしたエレベーターがある場所の表示が少なくて見つけられない!
などなど…
かつてバリアフリーやユニバーサルデザインの番組を13年間で600本ほど制作しましたが、佐藤君にしろ、視覚に障害がある吉田重子さんにしろ、脳出血で片麻痺となった建築家の友人、知的障害がある人知り合いのお子さん、高齢になった父母にしろ、
障害がある当事者の皆さんの感性・感度・アンテナこそ、バリアをみつけてくれる番組の目でした。
教えてもらって、へぇぇぇ〜と思うことがいっぱいありました。
そう、健常者には、社会に実存する、身体に不自由がある人にとって困難を感じるポイント=バリアは見えないのです。
そして、単にモノのバリアに限らず…
心の中にできるバリア
あれは、取材中の事故で両足の半月板を割ってしまい、随分長い間松葉杖生活を送っていたSアナウンサーに話しを聞いた時でした。
歩道の傾斜や段差で感じる困難には、最初、ホント驚いたけど、
決定的に自分にダメージを与えたのは、
移動に時間がかかったり、狭い廊下で行き違うのに、自分が通るのを待っていてもらったりすることが重なっていき…
“人に迷惑かけて申し訳ない…”という、どんどん弱っちくなっていく自分の気持ちでした。
不自由を負うと、いわゆる健常の状態でできることが出来なくなったり、何かするにも時間がかかったり、時には人の手助けが必要だったり。
待つ側、手伝う側にしてみれば、なんとも思っていないことでも、
してもらう立場になると、恐縮したり、申し訳ないと感じたり、
迷惑をかけていると自分を責めたりする…というのです。
そうした気持ちが、外出をためらうようにさせたり、人を会うことを避けるようになったり…心の中にバリアを作るということを知り、なるほどと思いました。
実は、これまで、なにかお手伝いした時…
障害がある人にそっけない態度を取られたり、むっとした表情をなさったりする場面に遭遇したことが何度かありました。なぜだろう?たまたま機嫌が悪かっただけだろうか?と思っていましたが、そうした気持ちの裏返しなのだということを、今では理解できます。
バリアをフリーにしようとする時、単にそれを取りはらうのみならず、
人の心にそうしたバリアを作らせないようにするのもバリアフリー。
「してあげる」感を抹殺し、「なんもなんも、そんなこと気にするんでないの!(←北海道弁)」と、さらりと接したい。
健常者には、バリアは見えない。だからこそ、教わる。
協創ユニバーサルデザインをうたわせて頂くゆえんです。
2019.9.27