vol.96 “心のバリア”ってそもそもナニ?
「かわいそう」の無限ループ?
心のバリアについてつれづれに書いてみたいと思います。
考えてみようと思ったきっかけは、今週月曜日の当コラムで、とある人から
「れいわ新選組の舩後・木村両氏はかわいそうなのでは?」と、問われた一件で、
人々の心の中にあるバリアはけっして小さくない現実を突きつけられことでした。
「心のバリア」とは…
身体の一部に障害があるというだけで、無力・無能と、思い込んでしまう。
思い込むことで、思考が行き止まりにはまり、壊れたレコードのように「かわいそう…かわいそう…かわいそう」と無限ループに陥る。
なぜ、こうも大勢の人が、画一的に皆そうなってしまうのでしょう?
それは全て“知らないことから起こる“誤解”に他なりません。
障害がある人と接したことがない、会話したことがないため、その人の人格に触れる前に、自分達ができることをこの人はできないと考え→“かわいそう”と思う。
なにせ、接したことがない分、その人の“出来ない”に向き合う方法が分からず、もし、それが自分だったらと想像し、恐怖を感じる…などのフクザツな心情が絡み合うことで益々思考停止に陥る。
教育で解決したい。が、大人は…?
以前に、「偏見」とは何か?について、心理学の教授の話について書いたことがありましたが、(2019年7月29日 vol.13 “偏見”とは何か?https://barrierfree-front.jp/2019/07/29/toukou729/)
そこでも、偏見は、相手のことをよく知らないことから起こり、第三者からその考えは間違っていることを指摘されても改められない強固なもので…心理学の分野でも、偏見を取り除く方法も研究されていることを紹介しました。
そう、心のバリアは、“知らない”ことから発生する心理であり、
知ってもらうことで解決してゆくしかない。
これを飲めば効く!というような特効薬は残念ながらいまだ存在しない。
ならば、小さい時から共に知る環境を作る…教育の問題と言えばその通りで、
れいわ新選組の舩後さんも、先日国会で、「インクルーシブ教育(障害がある子もない子もともに学ぶ教育環境作り)」の大切さを訴えていらっしゃいました。
しかし、いったん心にバリアを作ってしまった大人達を、
“かわいそう・何もできない・無力な存在”と思い込んでいる無限ループからどのように脱出してもらうか…。
前出の「かわいそう」と思っている人達に対し、
「いえいえ〜、けっして彼らはかわいそうじゃありません。
こんな風に障害を乗り越え、こんな風に日々を生き生きと過ごし、
こんな風に人生を切り開いている…」と、
説教するでない、訴えるでない、当たり前の感覚で伝えてゆくしか
今のところ、心のバリアをフリーにしてゆく方法はない…
というのが現時点での結論でしょうか。
皆さんの中に、「いやいや、他にこんな良い方法があるよ!」というのをご存じの方がいらしたら、ぜひぜひ教えて下さいね!
2019.11.21