vol.97 “優しさ”が怒りを生んでいる!?「心のバリア」は心の中ではなく“接点”に起こる
「優しさ」が怒りを生んでいる!?
心のバリアは「障害がある人のことを知らない」ことから起こると昨日お話しましたが、
「じゃ、知らないなら教えてあげるね」…で済むほど、事はそう単純ではありません。
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先日、全盲で東京在住のSさんが、怒りの投稿をFBにしていました。
Sさんは、モータースポーツを体験しに北海道へ来たり、ハワイでグライダー飛行に挑戦したり、家では揚げ物でもなんでもこなす料理上手、さらにiPhoneやApple watchを操ってどこでもでかけるスーパーウーマン!
そんな彼女の投稿は、強い怒りに満ちていました。
「通い慣れた場所を白杖を使って歩いていると、見知らぬおばさんが、いきなり私の手をつかんでぐいぐい引っ張り、“そっち違う、こっちこっち”と、
無理矢理、点字ブロックの上を歩かせようとする。
点字ブロックが無くても私は歩ける!本当に迷惑!」
「ある駅に行くと、駅員さんが、“その先に段差があります”と、マイク越しに知らせてくる。それが毎回毎回!なんで私の前に段差があることを周囲にアナウンスしなきゃならないわけ!?いつもとても恥ずかしい!今日はもう我慢できず、もうやめて下さい!と怒ってきた!」
前出のれいわ新選組の舩後・木村両氏を「かわいそうなのでは?」と、質問した人も、普段からいたって性格も明るく穏やかな良い人です。
そう、心のバリアは互いが出逢った、その間に突如現れます。
互いに差し伸べた手の位置がずれていて、握手ができない状態。
心の中にあるわけではなく…コミュニケーションの間に存在するのです。
たぶん、点字ブロックおばさんも、駅員さんも、かわいそう発言の人も…
自分の行動が障害がある人に「心のバリアを感じさせている」とは思っていないでしょう。怒られた駅員さんは驚いたに違いありません。
むしろ「良かれ」と思い、自分は人より心がバリアフリーだと思っている可能性もああります。
実際、障害がある人に対し、心を寄せ、「引っ張る」「アナウンスする」「質問する」という行動を起こしてるだけ、無関心でいるよりよほど良いと言っても良いかもしれません。
しかし、せっかく起こした行動が、障害がある人にとって
「ひどい!失礼!迷惑!余計なお世話!」と感じさせる悲しい結末に…。
ここは、
障害がある人の方でぐぐっと大人になり、
「そうして頂いて有り難いですが、こうして頂いた方がもっと嬉しいです」
と、とりあえず優しさをうけとって、間違いを訂正するのが先か………
いわゆる健常者の側が、自分の行動の間違いを学び、修正するのが先か………
きっと、どちらが先なのではなく、互いに同時進行でその溝を埋めてゆく努力をし続けるしかないのでしょう。
心のバリアは心の中ではなく、互いの間に存在する。
心ではなく、行動・方法を学ぶことにこそ、その解決の道があると思うのです。
2019.11.22