覚醒のプロセス no.144
今、私達が生きている社会は、“長寿社会”です。
大概、人は、自分は障害者にはならない、なりたくないーーーーと、思っています。
病気と障害は違うーーーと、思ったりもしています。(病気には気をつけるが、障害について考えることはしない)
実直に働いて来たある日、頭に衝撃を感じ、病院に運ばれます。
脳梗塞と診断され、身体の半分に麻痺が残ることを告げられます。
リハビリが始まります。
自分の身体なのに石のように、半分全く思うように動かせません。
入院期間が過ぎ、やがて、在宅に戻る訓練が始まります。
病気は“治癒”を前提に考えますが、
脳梗塞という不可逆の症状の後は、Q.O.L(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)という考え方に沿って、その後の生活を組み立てることになります。
Q.O.Lとは、“障害がある状態”で、いかに“生き・生活してゆく”か、生活の質を保ってゆくかを主眼にすえた考えで、
このあたりから、医療から福祉へ、あなたをサポートする制度がシフトします。
医療保険から介護保険へ。
要介護認定を受けたり、障害者手帳を申請したり。
生活の質を保つのに必要な生活用具、配食サービス、介護サービス…などなどを手配します。
ここで、自分は“障害者になった”ことを自覚します。
しかし、社会制度上はそうなっても、気持ちは健常者。
周囲が自分を見る目が変わったと思い、「可哀想とおもわれたくない」「哀れとおもわれたくない」と、心の中で拒否反応が起こります。
自分は一人でなんでもやってきた。人の世話になりたくない。自立しなければ。
しかし………
これまで、なんでもなく歩いて来た家の前の歩道が、まっすぐ歩けない(水はけをよくするために実は傾斜していたことに気づく)。
ドアノブをひねることができず開けられない。
ビルの入り口の扉が重くて開けられない。
階段があると、手すりを探す。ため息が出る。あがれない。
雨が降っても傘をさせない。
服や靴を履いたり脱いだりにえらく時間がかかる。
トイレで思うように用が足せない。
これまで使っていた施設や建物に入れない…………。
社会の構造に怒りを感じる。
社会は障害がある者にやさしくない。配慮されていない。
いや、なってしまった自分が悪いのか。これまでの人生はなんだったんだ。
ここで、概ね2つの道に分かれます。
全く外に出ようとしなくなる人と、
積極的に情報を集め、未発達な社会や制度を変えようと活動したり、発信したりする人と。
以上が、よくある“覚醒”へのプロセス。
TV番組取材をする過程で本当に多くの人が経た“覚醒”体験を聞き、触れさせて頂きました。
* * * * * *
生きている以上、病気や怪我と無縁ではいられません。
治癒する病気もあれば、回復しない怪我や障害を負うこともあり得ます。
自分だけではなく、家族・親戚、友達・恋人…に、そうした事態が起こらない保障はありません。
これまでは障害を語る時、感動ストーリーとして昇華させる一方、自分事としては考えない。
受け入れない。受け入れたくない。今は考えないという健常ありきの社会が続いてきました。
しかし、長寿社会の今、覚醒する人が増えていきます。
なってから覚醒するのか、なってもいいように……
・建物を作る人は、義務としてではなく、必要と意識し、身体に不自由があっても使える形を作る
・モノを作る人は、トレンドではなく、長い目で多くのユーザーに使用可能なカタチを探り、
・サービスを提供する人は、思いやりという曖昧な動機ではなく、当たり前に接し、喜びを得る形を実践、
・制度を作ったり、運用したりする人は、明確に身体の変化を見すえて設計する。
健常者と障害者の間に世界の違いはありません。
地球の、国の、街の、地区の、地域に住む同じ住人です。
福祉やバリアフリーは誰かのためではなく、自分や家族や友達のためのものなのです。
2020.5.19