「隔離」ではなく「保護」〜言葉が招くイメージの違い no.152
昨日の朝放送されたテレビ朝日「羽鳥慎一 モーニングショー」にて、
同社の社員でレギュラーコメンテーターの玉川徹(たまかわ とおる)さんの言葉にはっとさせられました。
正確に記録した訳でははありませんが、概要はこうです。
僕は、テレビの人間としても反省しているんですけれど、
新型コロナに罹った人を「隔離しなければ」とか「検査で洗い出す」とか言ってしまってきたけど、
そうじゃない、「保護」なんだ。必要なのは
患者を「隔離」ではなく「保護」すること。
こうした言葉を使うことによって、差別や偏見を助長したり、検査をためらわせることがあってはならない。
改めなければと思っています。
「隔離」ではなく「保護」—————この言葉を聞き、心からなるほど!と、思いました。
だいたいコロナウイルスに関する情報を、表に立って発信しているのは
疫学、ウイルス、感染症などの専門家の発言が元になっていて、
そうしたある種の「専門用語」である……患者を第三者目線で切り取って表現する言葉を、
私達も当たり前のように使って来ました。
「保護」という言葉だと、患者自体を保護することはもちろん、罹っていない人との接触から保護するという意味にもなるでしょう。
そして、何より「隔離」から想像する「忌むモノを遠ざける」がごとくのマイナスのニュアンスやイメージを知らず知らずにつけてしまっていたことに気づかされたのです。
これって、他にもある?と、思ってすぐ思いついたのは、「合理的配慮」という言葉。
これは、平成28年4月に施行された「障害者差別解消法」から登場した言葉で、
趣旨をまとめたリーフレットを見ると、
この法律では、役所や事業者に対して、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くため何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)を求めています。
とあります。
障害があるという理由で入店や利用を拒否せず、無理のない範囲で、対応しましょうーーーー
という意味で、
差別を解消するとした法律にしては、かなり弱腰で、あくまでも努力してね〜…的な表現がはがゆくはありますが、我が日本において「障害者差別はいけない!だめ!」と、明記された法律がやっとできた……と、話題になりました。
そもそもは、アメリカのADA法(「障害があるアメリカ人法」1990年)を参考にしたと言われていますが、アメリカでは、この法律によって、
障害がある人がお店や学校、施設などに入りたい、使いたいとした場合に入れなかったり利用できなかった場合は、
訴訟を起こし、勝つことができるようになりました。
「差別解消」というより「差別禁止」に近い、とても強い法律です。
先頃では、歌手のビヨンセさんの公式webサイトが、アクセシビリティに配慮されていないと、全盲の男性が訴えた…というニュースを目にされた方もいらっしゃるかと思います。
さすが、訴訟社会のアメリカだけあって、一説によるとすでに8万件もの訴訟が起こされ、その補償金は1300万ドルにもおよぶそうです。
話がわき道に逸れてしまいましたが…
その、「差別解消法」でうたわれ、数ページにおよぶリーフレットも作られている「合理的配慮」。
この言葉も、私は本来の目的とはちがったイメージを導いているように思えてならないのです。
「隔離」を「保護」と言い換えるなら、「合理的配慮」は………???
合理的理解?
合理的歓迎?
歓迎努力?
積極的配慮?
なかなかしっくり来る言葉は見つかりませんが、
一人の客として「できることをしてあげる」のではなく、
「どうしたら利用でき、満足して帰ってもらえるか、積極的に、前のめりに、気持ちよく取り組もう」的な言葉……
どなたか思いついた方がいらしゃったらぜひご一報下さい!
2020.8.6