vol.30 愛のある目線とない目線

“無視”も“心配”もどちらも「見る」という行為は一緒

かつて、「愛のある目線」と「愛のない目線」の違いは何か…を、

看護を学ぶ学生さん達との会話を通して考える番組を作ったことがありました。

じ〜っと見る猫の目線

見ている目線も見られている!

障害がある人に、

Q.心のバリアを感じる時はどんな時? か尋ねると…

「ジロジロ見られるのが嫌」

「困っている時に無視されるのが辛い」

という声をよく聴きます。

どちらにも共通しているのが「見る」という行為。

実際にどういった違いがあるのでしょう?

決して冷たい訳じゃない…けど

学生さん達と話す中で…

いわゆる「愛のない目線」は、

→ただ見るだけ見て、さっと目をそらしたりする行為が、いわゆる冷たい視線と感じる

そして「愛のある目線」は

→「大丈夫かな?」と心配しながら、出来ることは無いかな?と心を寄せている目線

なのではないかということになり…

視線がつめたい印象になってしまうのは、

「障害について知らない」「どう接して良いか分からない」「慣れていない」ことが原因であり、心配する気持ちはあっても何もできない、行動を起こせないことが、結果、“無視した”ことになってしまうのではないかと話し合いました。

結果…

愛のない目線→「ジロジロ…無視(ノーアクション)」

愛のある目線→「チラチラ…ジー(何かできることない?)」

ではないか…ということに。

周囲の人が障害がある人を見る、その目線も逆に見られている…

どうせ同じ「見る」なら、ぜひ、愛のある目線を、皆さんもどうぞよろしくお願いします!

2019.8.20

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