協創UDで目指したいこと no.121
今日は、協力して創るユニバーサルデザイン=協創UD
についてお話しさせて頂きます。
私が協創UDに取り組みたいと思ったのは、かつてNHK札幌放送局やuhb北海道文化放送で制作させて頂いた番組での経験が元になっています。
本当に種類も様々な障害がある方々にお会いし、取材させて頂きました。
その中で、そうした皆さんの知恵や経験は、もっともっと良い社会を作るのに必要であるというのを強く感じました。
そりゃそうです。今の社会は、身体に不自由がある人に易しくは作られていません。
しかし、皆さんはそうした社会で生きている。生き続けている。
そこには、健常者では思いも寄らない工夫や苦心、忍耐、経験があり、
健常者には見えない、社会の中のあちこちに横たわるバリア(障壁)、不備、ゆがみを身をもって知り、見えている。
一方…
社会において「バリアフリー」を語る時、どこか“おっかなびっくり”な雰囲気があるように感じます。
それは、
「障害者って、障害があってかわいそう。バリアフリーは、彼らのために何かしてあげようってことだよね?差別する気持ちもないし。でも、実は、よくわからない。だって話したことないし。下手なこと言ったらクレーム言われそう…」
多かれすくなかれ、こんな感じではないでしょうか。
NHKで福祉リポーターとなり、取材を始めた頃の私はまさにこうでした。
そして、取材してきて分かったことは、実は、障害がある人側にも揺れる心情があることです。
「障害があるから、健常者の人ができることが自分には出来ない。出来ても同じスピードでは無理。これって迷惑だよね。私は他の人に迷惑かけてるよね。なんか恥ずかしい。申し訳ない。バリアフリーは有り難いと思うけど、自分に合うバリアフリーってあまり無いな。でもそれを言うのはわがままだから、黙っておこう」
取材して気づいたのは、双方が建設的にコミュニケーションできていない現状でした。
互いが互いに遠慮し、おもんぱかって、良かれと思いながら、すれ違っている。
かつて、バリアフリー上映映画際について書いた記事で、
障害がある女の子がバリアフリー映画際に参加した理由を尋ねたとき、
バリアフリーだから来たのではなく…
「友達がこの映画について楽しそうに話していたから、その輪に入りたくて来た」
と話してくれたことを紹介しました。
バリアフリーというのは
こうしたささやかで「当たり前」のことができる社会にしてゆくことだと思っています。
少子高齢社会をばく進する今の日本において、
なにか新しい…たくさんの人が使うモノや施設を作ろう、変えようとする時、
“誰にとっても易しい”を作るのには、すでにあるバリアを身をもって知り、乗り越えている障害がある皆さんの知恵が必要なのです。
私は、その繋ぎ役になりたい。
私が聞き役になり、バランス良く、コミュニケーションする橋渡しをしたい。
それが協創UDを掲げた理念なのです。
2020.2.27